2012年人類滅亡説とは何だったのか?世界中が振り回された終末信仰をおさらいしてみる
2012年人類滅亡説とは、2012年12月21〜23日にマヤ暦が終了することから世界が滅亡するのではないかとされた終末信仰です。
この説は1990年代後半からインターネット上で広まり始め、2009年の映画「2012」公開によってさらに注目を集めました。
どんな根拠があったのか?
2012年人類滅亡説の根拠は、主に以下の2つです。
マヤ暦の終わり
マヤ文明で使用されていた長期暦「ツォルキン暦」が、「13バクトゥン」と呼ばれる周期を終えるという解釈です。
マヤ文明では「ツォルキン暦」という暦が使われていましたが、これは260日を一周期とする暦です。
そしてバクトゥンとは期間(日数)を表す単位で、1バクトゥンはグレゴリオ暦(現在世界的に使われている暦)で約394年に相当します。
マヤ文明では13という数字に特別な意味があるとされ、13バクトゥンを大きな周期の区切りとしていると考えられました。
(※ちなみに、なぜ「ツォルキン暦」は260日で一周するのかというと、人間の手指が20本あり、それを13周すると260になるからという説があるようです。)
そして2012年12月21〜23日頃に、この13バクトゥンが終了することから、人類の滅亡が連想されたということのようです。
過去の滅亡との類似性
地球上には過去にも、マヤ文明やアステカ文明など繁栄していた文明が滅亡した例があります。
それらの文明が滅亡した要因と2012年に現在の文明が抱えている問題が似ていたことから、2012年滅亡が連想されたとする考えです。
マヤ文明は紀元前2500年頃にメキシコ南部のユカタン半島を中心に栄えた文明です。
高度な建築技術、優れた数学体系、独自の文字体系などを発展させ、繁栄を誇りました。
しかし7世紀頃から徐々に衰退し、9世紀頃には都市国家が崩壊しました。
マヤ文明滅亡の原因についてはさまざまな説が提唱されていますが、主な要因としては以下のようなものが挙げられます。
- 環境破壊
- 森林伐採や農業による土壌侵食など、環境破壊が原因で食糧生産が減少した。
- 戦争
- 隣接する都市国家との戦争が続き、社会が疲弊した。
- 政治的混乱
- 統治体制の崩壊や権力闘争などの政治的混乱が原因で、社会秩序が失われた。
- 交易の衰退
- 長距離交易の衰退によって経済が打撃を受けた。
- 干ばつ
- 長期的な干ばつなどの気候変動が原因で、社会が弱体化した。
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これらの要因が複合的に作用し、マヤ文明は滅亡したと考えられています。
現代社会も環境破壊や戦争などマヤ文明とよく似た問題を抱えているため、マヤ暦の終わりと絡めて世界滅亡説が生まれたというからくりのようです。
2011年には否定されていた2012年人類滅亡説
でも実際には、今も世界は滅亡することなく続いています。
そもそもマヤ文明の専門家も2011年の時点で「2012年はただの一区切りにすぎない」と否定していました。
しかし世界が終わりを告げるはずだった2012年12月22日、世界各地でさまざまな終末イベントが開催されました。
- メキシコ
- マヤ文明発祥の地であるメキシコでは、古代遺跡チチェン・イッツァで終末を告げる儀式が行われた。
- フランス
- パリでは、エッフェル塔がライトアップされ、終末をテーマにしたコンサートが開かれた。
- アメリカ
- ニューヨークのタイムズスクエアでは、カウントダウンが行われ、多くの人が新年を祝うように2012年の終わりを祝った。
まとめ
2012年人類滅亡説は、世界中の人たちに大切な教訓を与えてくれました。
- 根拠のない情報や噂に惑わされることなく、正しい情報に基づいて判断すること。
- 常に批判的な思考を持ち、情報を鵜呑みにせず、自分で考えること。
- 何かを信じる前に、科学的根拠に基づいているかどうかを確認すること。
- 不安や恐怖に駆られず、冷静な判断を下すことが。
昨今ではコロナウイルスやウクライナ戦争、イスラエルのガザ侵攻など不安定な情勢が続いていますが、不確かな情報に振り回されず冷静に判断・行動したいものですね。